昨日はかなりぐっすりと眠れた。あまり長居もできないこともあり、迷惑もかからないよう、少し早めに出発。これからは、別段寄るところもあまり無いので、白浜のあたりまで向かうことにする。それにしても、UP DAWNが激しい。上がっては下り、下っては上がり、これの繰り返しだった。道としては、割と良かった。まぁ、道自体は狭いんだけど。何よりも、車があまり来なかったことが、良かった。 途中。尾之崎遺跡というところを見つけたので、寄ってみた。そこには、方形周溝墓が数基、あと竪穴式住居が復元されていた。方形周溝墓ではあるが、古墳時代の前期である西暦4〜5世紀の築造らしい。それから、次に道の途中にあった切目崎塚穴に寄る。ここは、沿岸の主要道のすぐ横にあり、少し前に看板で場所を確認して探し回ったのが、馬鹿らしかった。名前は塚穴だけど、それは正真正銘の古墳である。横穴式石室をしており、紀伊風土記の丘の古墳とはまったく異なった形状をしていた。なぜなら、割石積みではなく、巨石を積み上げていく方法だったからだ。その近くにも、幾つか古墳があった。そして、また足を進め始めた。 5時頃、急に激しい脱力感と疲労が襲ってきて、足が止まってしまった。白浜にはもうちょっとのところだったが、その手前の田辺市の扇ヶ浜にテントを張ることにした。そこからの夕日は綺麗だった。・・・夜。テントで寝ていると、若い「人類のゴミども」がやってきて、騒ぎ始めた。しかし、うち等のテントには気付いていないようだ。それは、完璧にカモフラージュされているからである。それにしても五月蝿い。こんな田舎にもあんなやつらが我が物顔でうろついているなんて!ちょっとショックだった。都会でなくて、こんなところでも、人という存在は腐り始めているのかと、改めて痛感した。自分たちさえよければそれでよし、楽しければそれでよし、そこに周りの「モノ」に対する配慮は無い。今盛んに環境問題が騒がれているが、それも、人間が住めるか住めないかという問題だけが取り出されている。地球にとって、「全」にとって人間さえいなくなれば、明らかに改善される。そうでなければ、もっとマシなやつが増え、その他大勢が少なくなればよりよくなるのではないか。前述したやつらは、その他大勢にも含まれない「ゴミ」である。なぜなら、同じ種の者に対してにすら、まったく配慮ができないからだ。でも、そういった「ゴミ」を全て排除したら、一体いくらの人類が残るのだろう。それに、そういうやつらは、なぜ生きていくのだろう。そして、なぜ生きたいのだろう。その存在自体が無意味のなのに。初め、人は自然に対して、尊敬や畏怖の念をもって接してきた。それが、八百万の神として我々を戒めて来たのだ。しかし、人が神になったことで自然に対してもないがしろになり、自分たちの生活を確保するために、自然を収奪していった。今では、それがより良く、より楽に生きて行く為に、全ての「モノ」に開かれた世界である自然を犯し、自分たちだけが住める世界を築き上げてしまった。そうなったら、もうどうしよもないのかもしれない。もう一度、人類は滅ぶべきだ。しかし、今度は人類だけでなく、地球も一緒かもしれない。 ・・・そして、闇の中に落ちていった。 走行距離:82.00km 走行時間:データ消失 |